「なんで出来ないんだろう?」
と人であれば誰でも一回は思ったことがあると思います。
自分が部下や友人や客にしたアドバイス、
子育ての中での躾や教育、などなど。
「なんで出来ないの?」
「なんでやらないの?」
という疑問を通り越した憤りのようなもの。
日本の教育やマネージメントって
自分の弱みや出来ないことを克服することに重点が置かれていて
どうしても出来ないことに注目しがち。
もともと出来ないものは、努力もしにくいし、
なかなかすぐにできるものでもないので、
「なんで出来ないの?」と相手を問い詰めると、
圧迫をかけることになり、相手は萎縮していきます。
そうなるとIQが下がるので、今まで出来てたものも出来なくなる、
という負のループに突入します。
この出来る出来ない、というのはある意味プロセスでしかなく、
結果どうなったのか、までは見ないのです。
コンサルなどでアドバイスしたことが別にクライアントが出来なくても、
話をしたことでモチベーションがあがり、やってないんだけど結果が出た、
なんてことはよくあって、やったやらないんじゃないんだなあと思うのです。
私は出来ないことをやらせるよりも出来ることをすぐに大量にやってもらって、成果を出した方がいいと思ってるし、その方が本人も簡単に成果が出る。
たまに言ったことをやらない、と怒るコンサルもいるけど、
それは相手が出来ないことばかりを言っているせいもあると思います。
確かにこれをやらないとダメよってことはあるけど、
それが出来ないってことは、それは本人の適正とは違うってこと。
向いていない、ただそれだけ。
その時の出来る出来ないはその人の実力です。
この分野では実力はないが、他の分野では実力がある、
ということなのかもしれない、と考えることです。
それは子供でも同じこと。
なんで出来ないの?と怒っても、今この時点で出来ないものは出来ないんです。
それを受け入れて、じゃあどうするかを考えることです。
責めてれば出来るようになる、なんてことはありません。
「出来なかった」「やらなかった」
という責任は現時点で本人が取ってます。
ダイエットするって言ったけど、出来なかった。
だから、私は今でも太る続けている、という責任を自分で取ってます。
相手と約束したことを果たせなかった。
相手からの信頼を失うという責任を本人は取ってます。
出来ない理由はそれぞれあるのかもしれませんが、
その時点での相手の実力がそこだ、ということです。
そしてその責任は相手が自分で取ってます。
文字を覚える、計算が出来るようになるとか、
そういう基礎学力はないといけないですが、
苦手な分野を責めるのではなく、
その子が出来るように根気強く教えてあげてください。
よその子と比べてはいけません。
なんで出来ないんだろう
なんでやらないんだろう
と他人がいくら考えてもどうしようもないです。
そんなのどれだけ考えてもわからないんです。
だからそれを考えることを諦めて、
では一体どうしていこうかと前を向いてください。
相手に対する、なんで?という疑問は愚問なのです。