昔から人の生き方、というのに
ものすごい興味があった。
だから、中学生の時から独学で
心理学を学んでたんだけどね。
でも、その心模様への探求はしていたけど、
その個人個人が織りなす人間模様 には
あまり注目してこなかったんだな。
それが5年前くらいに、その関係性っていうのを
がっつり学んでから、人は人に傷つくけど、
また人によって癒される事を知った。
そして個人個人が全く違う資質と素質を
持つ物だ、というのを3年前から学んでいる。
それまでは、私も自分の世界しか見てこなかった。
今、思えば、何も知らなかったんだなと思う。
知っていればしなかった事、
山ほどある。
でも、知らなかったから、
色んな事をやらかした。
ほんと、今考えてみれば
恨まれることもたくさんしたなーと(爆)
人生っていうのは決して自分一人では
織りなせない。
そこに必ず他者が関わり、関係性がある。
それは恋人でも、夫婦でも、友達でも。
私も含めて人は、自分の正当性を証明したい。
私は間違っていない、間違っているのは相手の方だ。
私はそんな生き方をしたくない、
私はそんな事をしない、と言って
暗に相手を責める。
これも、自分の正当性を主張して、
相手と戦っている。
裏切られた、と私が感じても、
きっと相手は裏切ったとは思っていない。
きっと相手も、私に対してあなたは
間違っているけど、自分は間違っていない。
と、思っているはずなのだ。
裏切ったのではなく、仕方なくそうしたのだ、
なぜなら、あなたが間違っているから。
そうやって、相手に報復をする。
私も、あなたが私を裏切ったのだから、
あなたが間違っていると、報復をする。
どっちもどっち。
どっちも相手が悪いと思って、報復をする。
一歩間違うと、自分の人生を
こういうことに使ってしまう。
正当化、という戦いは、どの相手にもやる。
家では夫に妻に、外では同僚に友達に。
お前がいると、私の人生はダメになると、
排除をし続けないといけない。
自分が他者に対してどういう関わり方をするのかが、
自分の生き方そのものを表すのかも。
あなたはわたし。
わたしはあなた。
それは誤解だ、という思いは、
自分の心から生じるものなのかもしれない。